雪駄をいつの頃から履くようになったかは定かでないが、一説には、室町時代の末頃からで、千利休の考案といわれている。

雪駄は雪踏とも書くように、草履で雪の上や湿気の多い路を歩いても、水気が表にしみ通らないようにするためや、かかとの部分が早く傷むのを防ぐための補強工作として裏に皮をはるようになった。茶人はこれを数寄屋草履とも言った。

元禄時代(1688~1704年)になると、毛雪駄、丹前雪駄、石割雪駄、吉原雪駄などの種類ができた。

雪駄の一つの特徴である鋲打ちは、歩くと裏金と地面がすれチャラチャラと音をたてるが、これは江戸の侠客の間から始まったといわれている。また、天保改革(1841~43年)以前には、裏金の鋲を赤銅で作り、これに金象篏(きんぞうがん)を施したぜいたくな雪駄もあった。